観世音とは世の音を観る。つまり遍く衆生の声を聞く。という意味合いがあります。
不空羂索観音について。
ヒンドゥー教のシヴァ神が仏教に帰依したという形でもいわれていますが
不空(ふくう)とはむなしからず、羂索(けんさく、けんじゃく)は生き物を捕らえる縄のこと。
不空羂索観音は不空(もれることなき)の網をもってあらゆる衆生を救済する観音のことです。
ちなみに興福寺の不空羂索観音は康慶作で運慶のお父さんの作です。
運慶仏も逞しく、洗練されていて格好良いですが、康慶作も味があって良いです。
是非興福寺南円堂が開帳されているときに
運良く奈良へ行かれたのでしたら是非観てみることをオススメします(=´ω`=)
仏教においては観世音は不空羂索とも、三十三面とも、
千手千眼、時には馬頭ともなって様々な救いを人に示してくださいます。
世は仏の救いに満ち溢れていると言っても過言ではないでしょう。
あー。救われたい。
が、やっぱ自分の努力というのがまず大事だと思いました。
不空羂索観音について。
ヒンドゥー教のシヴァ神が仏教に帰依したという形でもいわれていますが
不空(ふくう)とはむなしからず、羂索(けんさく、けんじゃく)は生き物を捕らえる縄のこと。
不空羂索観音は不空(もれることなき)の網をもってあらゆる衆生を救済する観音のことです。
ちなみに興福寺の不空羂索観音は康慶作で運慶のお父さんの作です。
運慶仏も逞しく、洗練されていて格好良いですが、康慶作も味があって良いです。
是非興福寺南円堂が開帳されているときに
運良く奈良へ行かれたのでしたら是非観てみることをオススメします(=´ω`=)
仏教においては観世音は不空羂索とも、三十三面とも、
千手千眼、時には馬頭ともなって様々な救いを人に示してくださいます。
世は仏の救いに満ち溢れていると言っても過言ではないでしょう。
あー。救われたい。
が、やっぱ自分の努力というのがまず大事だと思いました。
コメント
神護寺だっけな?山の上の方にあって、かわらけ?とかいう素焼きの皿を投げるお寺があって、そこの雰囲気が一番好きでしたね…
ボーッとしすぎて友達においてかれるしw
まあ上醍醐ほどではないですが…